深海菊絵著『ポリアモリー 複数の愛を生きる』への批判。外からポリアモリーを眺めるだけでは、ポリアモリーの視点は獲得できない。 / by Nao-Horomura

先日、ポリアモリーについて一冊の本が出ました。深海菊絵氏が書いた『ポリアモリー 複数の愛を生きる』という本です。

この本を読んでまず私が思ったことは、「いったい著者は何の為にこの本を書いたのだろう?」ということでした。

なぜそう思ったかというと、この本が、「ポリアモリーの実践者の切実な動機に迫り、問題提起をする」といったものや、「ポリアモリーを選択したい人々に役立つ情報を与える」などといったものではなく、表面的に、事象としてのポリアモリー(モノガミーの視点から見たもの)を書き連ねたものになってしまっていたからです。

著者はポリアモリストではないため、これは仕方のないことかもしれません。

外からポリアモリーを眺めるだけでは、ポリアモリーの視点は獲得できません。

ポリアモリーを実際にやってみて、ポリアモリーの視点を手に入れなければ、いくらポリアモリーを観察しても、「ポリアモリーを選択する人々の切実な動機」や「ポリアモリストが持つ社会に対する問題意識」「感覚」「思想」「困難」「夢」などといった、ポリアモリーにとって重要な事柄は、スコトーマ(盲点)に隠れたままになってしまいます。

また、インタビューやフィールドワークをする際も、「ポリアモリスト」という立場で行うのと、「ポリアモリストではないがポリアモリーを研究対象としている」という立場で行うのとでは、聞くことのできる話も、見ることのできるものも、異なってきます。

先日、カリフォルニア大学バークレー校で行われた、ポリアモリーの国際学術会議では、ポリアモリストである私と参加者の間で、活発な議論が起こりました。それは例えば、「日本のフェミニストはポリアモリーを推奨しないのか?」というものです。離婚率の増加や、連続単婚といった社会問題を解決する手段としてポリアモリーを実践し、推奨する人々もたくさんいます。

私は、ポリアモリーというのは、単に事象として捉えるべきものではないと考えます。それを選択する切実な動機や、ポリアモリーを実践する人々が感じる体感、そうしたものが、大切で、価値あるものだと思っています。

ですので、ポリアモリーについて研究するのなら、まず、ポリアモリーを実際に自分が試してみて、内部に入り込むことでポリアモリーの視点を獲得してほしいと思います。そうでなくては、その研究は、猿山の猿を人間の視点で観察するのとそう変わらない、リアリティのないものになってしまうからです。

ただし、モノガミーの立場から、ポリアモリーを論じることもできると私は思っています。例えば、著者は、「自分とは異なるかたちの愛や家族を築いていける人を受け入れることのできる社会ができれば。そんな思いを抱きながら本書を執筆しました」と、あとがきに書いていますので、「自分とは異なるかたちの愛や家族を築いている人を、社会が受け入れるべき理由」を論じながらポリアモリーが置かれている社会的な状況について触れることが、そのひとつでしょう。

いずれにしても、私は、問題提起をすることや、新しい視点を示すこと、そして、それらが自分の経験に基づくものであることが、最も重要なことだと思っています。日本においては、なぜかこうしたことが重視されない傾向にあり、それが、日本が、ビジネス、学問、アートなど、様々な分野で世界から遅れをとっている原因だと思っています。