トライブ意識 / by Nao-Horomura

今回の本では編集時にカットした箇所を、期間限定で掲載します。

■トライブ意識

 彼との日々の中で、私は久しぶりに、トライブ意識を思い出しました。

 私には、やるべきことがありましたが、それをやっていくための人間関係の最小単位があると感じたのです。それは、核家族より大きく、移動を伴い、誰かが遠征したり戻ってきたりしながら続いていくもので、トライブと呼ぶのがちょうど良いように感じました。

 中学生の時にスキー場で、高校卒業後にナイトクラブで、つくりあげていったものと似た、目的とライフスタイルを共有する最小単位。スキー場や、ナイトクラブには、場所自体にゆるいトライブ意識があり、その中でさらに大きな目的意識を持つ人々が強いトライブ意識で繋がっていたのでした。

 年功序列、終身雇用の会社で、給与生活者として家族の構成員全員が生きていくのなら、核家族や一対一のパートナーシップでもなんとかやっていけますが、それ以外の生き方をするのであれば、核家族という単位は不安定で、小さすぎる。大きな目的意識を持つ人たちは、自然とトライブを形成し、助け合いながら、みんなで目標を達成していたのでした。

 結婚をやめ、トライブ意識の強い彼と過ごすうちに、私はキラキラと輝くトライブ感覚を久しぶりに取り戻しました。ノンモノガミー、ポリアモリーという恋愛のスタイルは、トライブに全く矛盾しないどころか、トライブを形成するためにも、トライブを維持するためにも、理にかなっているように思いました。(意識的か、意識的でないかに関わらず、トライブ意識が強い人は、ノンモノガミー、ポリアモリー的な哲学やライフスタイルを送っていました。)

 10代の頃、私は、ずっと大勢で生活したいと思っていました。20代の前半も同様です。そして、20代も後半になり、子育てや生活、仕事、恋愛、セックスについて、より深く考えるようになり、私は、10代の頃、20代前半の頃よりはっきりと、大勢で生活すべきだと思うようになりました。

 社会が急激に変化していました。私だけでなく、皆が、これまでの生き方で、あと50年以上、これまでのシステムに依存して生きていくことは危険だと肌で感じていたこともありました。高学歴の同級生はどんどん全国各地、世界のどこかへと会社の都合で散らばっていきました。過酷すぎる労働環境で体調を崩したり、転職を余儀なくされる、高学歴の同世代がたくさんいました。孤独、孤立、心の病という問題が、日本中でどんどん深刻になっていました。私は、私からまず、自分が良いと思うことを実行し、みんなの状況をなんとかしていかなければいけないと思いました。そして、「自分の力で、自分の好きなように、自分の人生を切り開いていける、そして、それは、私だけでなく、みんなができることなんだ。」と、直感的に思ったのでした。

 トライブ意識を大切にし、トライブを自ら形成、維持していこう。そのために、私はトライブのメンバーひとりひとりに、できることをしていこう。貢献していこう。それが私のやるべきこと全てとも繋がるし、私がやるべきことをやるためにも、トライブのメンバーひとりひとりがやるべきことをやるためにも、未来の人類のためにも、とても大切だ。そういう生き方がとても自然なものとして、しっくりきたのでした。そして、それは、私が、北海道の日高と札幌を行ったり来たりしていた幼い頃に憧れていた、日高の姿、地域のために、日本のために、人類の未来のために会社経営をしていた祖父の姿と重なるのでした。

 日高にはアイヌの文化がまだうっすらと残っており、私もアイヌの血をひいていると聞かされていました。祖父は、幼い私には、首長のように見えました。私は日高で親戚たちと遊ぶのが大好きで、大きな家族に守られていると思いながらのびのびと成長したのでした。親戚だけではなく、親戚のところに出入りしていた、会社の人、祖父の恋人のような人、お手伝いさんや運転手さん、親戚の友人のアーティストたちも、皆、私を可愛がってくれました。矢野顕子さんや、さよなら人類のたま、フリージャズのアーティストたち、ヒッピーのようなレゲエのような人たちも、日高の空気の中、親戚たちがつくる空気の中で、リラックスしていたのでした。祖父が亡くなった時には、政財界の人々などがおよそ2000人参列し、私は、それらすべてが、私の大きな家族、トライブだと感じていたのでした。

 幼少期に培われたそうしたトライブ感覚は、私に、コスモポリタンとしての感覚、宇宙生命体としての感覚も授けました。トライブの空気はとても平和なもので、それは、自分のトライブ内の人間だけが幸せであったらそれでいいというようなものではなかったのです。その空気を言葉にするなら、それは、「愛」ということになるのでしょう。本来の意味の、本質的な愛。隣人愛、博愛という意味での愛が、空気としてありました。私はその感覚を持ち続けたかったし、その「愛」の空気を、私たちの世代にも、次の世代にも、伝えていきたかったのです。その、空気の中にある愛、その空気の中で過ごす感覚すべての中にいつもある愛は、私の中で、一般的に言われている、「愛している」「愛していない」といったことより、ずっとずっと大事なのでした。

 

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