ポリアモリーへの誤解 by Nao-Horomura

■ポリアモリーへの誤解  

Oxford dictionaryには、ポリアモリーの項目に、『The practice of engaging in multiple sexual of relationships with the consent ofall the people involved.』全ての参加者の合意の上で、多重な性愛関係に参加すること、と書かれています。

 ポリアモリーという言葉は、1990年代のサンフランシスコで広まり始めました。サンフランシスコは、1960年代後半、ヒッピームーブメント、『Summer of Love』が起こった地です。このヒッピームーブメント、『Summer of Love』は、学生たちの自主性を重んじようとする学生運動や、反戦運動、ロックミュージックの台頭、エコロジー運動など、理想の追求、可能性の追求という色合いが強いものであり、それまでの人類のあり方への反省を多く含んだものでした。そこには、従来の家族のあり方や男女関係への反省も、当然、含まれておりました。ポリアモリーがサンフランシスコで広まり始めたのは、60年代後半のヒッピームーブメントや『Summer of Love』と、無関係ではありません。

 ポリアモリーの本質は、従来の家族のあり方や男女関係への反省、理想の追求、可能性の追求であり、より良い未来を作っていこうという姿勢にあります。

 例えば、1970年代に結成されたケリスタ共同体というポリフィデリティ(決まった複数人とのみ関係を結ぶこと)を実践していた共同体は、愛する人が自分以外の人を愛するときに感じる喜びを発見し、『Compersion』と名付けました。

 日本においては、こうした、ポリアモリーという概念が生まれてきた背景があまり知られておらず、ただ単に、「複数の恋人を持とうとする人」や、「同時に複数の人を好きになってしまうマイノリティ」などといった意味で使われています。これはとても残念なことです。

深海菊絵著『ポリアモリー 複数の愛を生きる』に見られるsex negativeな論理。 by Nao-Horomura

何日かに渡って深海菊絵著『ポリアモリー 複数の愛を生きる』の研究の問題点を指摘してきましたが、私は、深海菊絵氏に全面的に責任があるとは思っていません。というのも、深海菊絵氏は日本の大学に籍を置いている研究者であり、様々な圧力がかかっていることも考えられるからです。

日本の大学ではまだまだ性に対しての様々な差別があります。女性差別、特定の性行動を病気と見做すような差別など、それらは多岐に渡ります。差別的な見方を教えられることも少なくありませんし、差別的な見方をする教授たちに気に入られるような研究が出来ないと、ポジションが得られなかったりもします。

実際、私は、日本の大学関係者から、ポリアモリーを公言しないように促されたこともありますし、本の出版に関して内容を変えるように促されたりもしました。そうした圧力はとても大きなもので、私自身、ものすごい疲労感をおぼえましたし、身の危険も感じました。

こうした事情があるため、私はテトラヒドロン人間関係研究所を独立した機関にし、研究費なども自分たちで工面しています。私たちの研究を守るためです。

このような日本の大学の状況を考慮した上で、深海菊絵氏『ポリアモリー 複数の愛を生きる』の問題点、sex negativeな態度が見受けられる箇所を、指摘します。例えばそれは、以下のような記述です。

「性革命」はアメリカの性の歴史に多大なインパクトを与えた。しかし、短命だった。八〇年代に入ると性の探求者たちは表舞台から徐々に姿を消し、家庭崩壊を恐れた人びとは性道徳の再建を望みはじめる。さらに、伝統的な性道徳を守ろうとする保守派から性解放派に対する本格的な反撃がはじまっていく。一九八〇年代初頭に発見された「エイズ」も、こうしたバックラッシュに拍車をかけた要因となった。六〇年代から七〇年代にかけて興隆した「性革命」は後退し、人びとは保守的な性モラルを説くレーガン大統領とともに性的秩序の回復に向かっていったのである。(深海菊絵著『ポリアモリー 複数の愛を生きる』47頁)

「性革命は短命に終わった」だなんて、いったい筆者はどこを見てそんなことを言っているのでしょうか。

筆者は60年代、70年代に興隆したムーブメントを「性革命」と捉えています。おそらくこの「性革命」とは、フラワームーブメントやヒッピームーブメント、Summer of Loveなどと呼ばれているもののことでしょう。しかし、このムーブメントは、決して、性という側面からだけ見て理解することはできないものです。学生たちの自主性を重んじようとする学生運動や、人権意識の高まり、反戦運動、フリージャズ、ロックミュージックの台頭など、様々なものと関連しているのです。これらとの関連性を無視し、これらひとつひとつへの深いコミットメントを欠いたまま、性について起こったムーブメントだけを取り上げても、多くのことを見落としてしまいます。

さて、筆者が指摘するように、これらのムーブメントは、短命に終わったのでしょうか?

・・・まさか!

このムーブメントを引っ張った人々、このムーブメントに大きな影響を受けた人々は、今も世界中で大活躍しているし、このムーブメントの中生まれたアイディアは、今も進化し続け、世界中に影響を与えています。私の行っている、「コーチング」もそのひとつです。

最も分かりやすい例が、Apple社でしょう。ヒッピームーブメントの多大な影響下で生まれたApple社は世界時価総額ランキングで断トツのトップです。

また、今年6月26日には、とうとう、アメリカ国内で同性婚が合法になりました。LGBTQの人権運動の拡大に、インターネットの普及やiPhoneの普及などが関わっていることは言うまでもありません。これらは全て、深く関係しているのです。このように、私たちは、闘い続け、進化し続け、その渦中に今もいます。なぜなら、60年代からずっと、私たちが心から望んでいるものは、まだ一度だって達成されていないからです。

また、筆者は、『レーガン大統領とともに「性的秩序の回復」に向かっていった』と書いていますが、ここで起こったことは、正確には、エイズを背景とした、同性愛者へのあからさまな差別、弾圧などです。これらを「性的秩序の回復」などと呼ぶことに、私は疑問を感じます。

このように、使う言葉の端々に、論理の端々に、sex negativeな態度が見受けられるのです。

基本的に、ポリアモリーは、sex positiveなものです。根底に流れる sex positive な態度を自分の中に取り込み、sex positive な人々が目指すものを共に見ることをしなければ、ポリアモリーを理解することは出来ません。

 

『ポリアモリー 複数の愛を生きる』への批判。研究対象へのコミットメント不足という問題。 by Nao-Horomura

昨日に引き続き、深海菊絵氏の『ポリアモリー 複数の愛を生きる』について書きます。

昨日は、「著者がポリアモリーを実際に自分でやったことがないために、ポリアモリーについての記述が、表面的で、特定の現象をモノガミー視点で切り取ったものに過ぎず、ポリアモリーのリアリティとは異なるものになってしまっている。また、ポリアモリーについて研究した動機も不明瞭で、問題提起や、新しい視点を示すことも出来ていない。」と、コミットメント不足の、研究上の問題を書きました。

今日は、「コミットメント不足」の別の問題を指摘します。それは、責任という問題です。

筆者は、ポリアモリーを日本に紹介したかった理由のひとつに、「なにかしらの事情で愛の関係に悩んでいる方々に、新しい選択肢の一つとして、ポリアモリーを紹介したかった」と書いていますが、自分がポリアモリーをやったことがないのに、新しい選択肢として紹介するなんて無責任なことがあるでしょうか。

これは、本質的には、食べたことのない食べ物を人に勧めることや、生活したことのない土地に住むことを人に勧めることなどと変わりません。

ここ10年、20年ほどで、日本では、そのような無責任な姿勢が蔓延するようになりました。コンビニエンスストアの店員も、チェーンのレストランの店員も、アパレルショップの店員も、特別な店舗や特別な店員を除いて、自分の販売しているものをよく知りません。お客様対応窓口も、マニュアルに沿って話をするだけで、自分が何をやっているのか、詳しいことはわかっていません。もちろんそれは、安い給料で働かされる派遣社員やアルバイトの増加などといった、大企業の利益の追求の結果なので、店員や窓口の人々の責任とは言えません。むしろ、店員や窓口の人々も、自分の仕事に対して、数十年前であれば持てたであろう誇りを持てないという意味で、被害者でしょう。しかし、無責任な仕事であることには変わりません。

ポリアモリーを実際にやってみてもいないのに、愛の関係に悩む人にポリアモリーを勧めるといった姿勢は、まさに、こうした「コミットメント不足」の現代社会を体現しています。そうしたものに慣れきった人々には、違和感なく受け取られるのかもしれませんが、私は強い違和感を持ちました。ポリアモリーというのは、深いコミットメントを重視するムーブメントなので、そのギャップから違和感が強かったのかもしれません。

また、著者は、ポリアモリーに対するコミットメントだけでなく、日本とアメリカに対してのコミットメントも不足していると私は思いました。日本で、日本人向けにポリアモリーを勧めるのであれば、アメリカのポリアモリーを、背景を無視して現象としてだけ日本に持ってくるようなやり方ではなく、日本が現実に抱えている問題を解決するような方向で、ポリアモリーを勧めていくべきです。日本とアメリカは、宗教的な背景、法律、性愛への積極さ、ワークライフバランス、女性の地位など、恋愛の前提となるものが異なっているのです。そうしたふたつの背景を前提とした上で、ふたつの国で起こっている現象を見つめ、日本人に向けて意味あることを、責任をもって発信すべきだと、私は思います。もちろんポリアモリーは世界的なムーブメントでもありますし、「ポリアモリー」という名前を使わなくても、「ポリアモリー」が指し示す人間関係を自然と行っている民族なども世界中に存在しますので、そうした研究もしていく必要があると私は思います。私たちテトラヒドロン人間関係研究所は、実際、そうした研究を、日々、当たり前にやっています。深いコミットメント、仕事への責任とはそういうものです。

深海菊絵著『ポリアモリー 複数の愛を生きる』への批判。外からポリアモリーを眺めるだけでは、ポリアモリーの視点は獲得できない。 by Nao-Horomura

先日、ポリアモリーについて一冊の本が出ました。深海菊絵氏が書いた『ポリアモリー 複数の愛を生きる』という本です。

この本を読んでまず私が思ったことは、「いったい著者は何の為にこの本を書いたのだろう?」ということでした。

なぜそう思ったかというと、この本が、「ポリアモリーの実践者の切実な動機に迫り、問題提起をする」といったものや、「ポリアモリーを選択したい人々に役立つ情報を与える」などといったものではなく、表面的に、現象としてのポリアモリー(モノガミーの視点から見たもの)を書き連ねたものになってしまっていたからです。

著者はポリアモリストではないため、これは仕方のないことかもしれません。

外からポリアモリーを眺めるだけでは、ポリアモリーの視点は獲得できません。

ポリアモリーを実際にやってみて、ポリアモリーの視点を手に入れなければ、いくらポリアモリーを観察しても、「ポリアモリーを選択する人々の切実な動機」や「ポリアモリストが持つ社会に対する問題意識」「感覚」「思想」「困難」「夢」などといった、ポリアモリーにとって現象そのものより重要な事柄は、スコトーマ(盲点)に隠れたままになってしまいます。

また、インタビューやフィールドワークをする際も、「ポリアモリスト」という立場で行うのと、「ポリアモリストではないがポリアモリーを研究対象としている」という立場で行うのとでは、聞くことのできる話も、見ることのできるものも、異なってきます。

先日、カリフォルニア大学バークレー校で行われた、ポリアモリーの国際学術会議では、ポリアモリストである私と参加者の間で、活発な議論が起こりました。それは例えば、「日本のフェミニストはポリアモリーを推奨しないのか?」というものです。ポリアモリーとフェミニズムは直接的に結びついてはいませんが、女性の人権というテーマに対して真剣に取り組むポリアモリストはたくさんいます。また、離婚率の増加や、連続単婚といった社会問題を解決する手段としてポリアモリーを実践し、推奨する人々もたくさんいます。

私は、ポリアモリーというのは、単に現象として捉えるべきものではないと考えます。それを選択する切実な動機や、ポリアモリーを実践する人々が感じる体感、そうしたものが、現象そのものよりずっと大切で、価値あるものだと思っています。

ですので、ポリアモリーについて研究するのなら、まず、ポリアモリーを実際に自分が試してみて、内部に入り込むことでポリアモリーの視点を獲得してほしいと思います。そうでなくては、その研究は、猿山の猿を人間の視点で観察するのとそう変わらない、リアリティのないものになってしまうからです。

ただし、モノガミーの立場から、ポリアモリーを論じることもできると私は思っています。例えば、著者は、「自分とは異なるかたちの愛や家族を築いていける人を受け入れることのできる社会ができれば。そんな思いを抱きながら本書を執筆しました」と、あとがきに書いていますので、「自分とは異なるかたちの愛や家族を築いている人を、社会が受け入れるべき理由」を論じながらポリアモリーが置かれている社会的な状況について触れることが、そのひとつでしょう。

いずれにしても、私は、問題提起をすることや、新しい視点を示すこと、そして、それらが自分の経験に基づくものであることが、最も重要なことだと思っています。日本においては、なぜかこうしたことが重視されない傾向にあり、それが、日本が、ビジネス、学問、アートなど、様々な分野で世界から遅れをとっている原因だと思っています。

 

 

多元成家 TAPCPR(Taiwan Alliance to Promote Civil Partnership Rights)の歴史と背景 by Nao-Horomura

(翻訳者:生駒 翼、翻訳元:台灣伴侶權益推動聯盟Taiwan Alliance to Promote Civil Partnership Rights)

TAPCPR(Taiwan Alliance to Promote Civil Partnership Rights)は、ジェンダー(性)とセクシャリティ(性的指向)の平等を支持する様々な団体と、平等の確率を推進する個人活動家達の協力のもと、2009年に設立された台湾における”シビル・パートナーシップ(civil partnership)”の権利の推進を目的とした団体です。また、当団体は2012年8月に台湾の内務大臣によって正式に認可されました。

 

私たちは、台湾における既存の法制度の下での「親愛関係(intimate relationships)」の理解が、異性間結婚の概念によって非常に大きく制限されてしまっていることに気付きました。それに加えて、一般的な恋愛観・結婚観とは異なるタイプの「家族」や「親愛関係」の在り方への理解や法制度の確立はまだまだ普及しているとは言えません。そのため、TAPCPRは、既存の社会に存在する全てのタイプの「親愛関係」と「家族」が、法の下での保護を受けられるようになることを願って、「同性婚」、「親愛関係」、「複数家族(multiple-person families)」などに関連する民法の改正案の提出を先導しています。

 

台湾社会をよく見てみると、「親愛関係」を形成していこうとする動きは既に多岐にわたっていることに気付く一方で、伝統的な結婚観に基づく法制度が強固に変わらず存在しており、明らかに多くの種類の「家族」の需要に応えられないでいることが分かります。また、統計データによると、今日50%以上の台湾の家族は、伝統的な核家族としての家族形態には従っていないことが分かります。婚姻届を出さずに同棲することを選択した異性間のカップルや、結婚を通じた法的な利益を受けることができないまま長年連れ添っている同性間のカップル、そして友人間で家族のように共に暮らし、互いの面倒を見ることを選択したグループなどは、全て現存する多くの種類の「親愛関係」の形の一つです。しかしながら、私たちの社会の法律や条例は、結婚を前提とする「一夫一婦制(one husband one wife)」の伝統的な異性愛概念のみを前提とした考え方に凝り固まり続けています。また、法律においては、恋愛や性に関する保守的な倫理観に基づく言及も多く見られます。そのため、民法が想定している結婚観のフレームワークの外に属す国民達に関して言えば、台湾社会のシステムは、彼らを排除し、彼らの人権を無視していると言わざるを得ません。

 

確かに、カップルの権利が保障されていないことによって、すぐに何かしらの被害をもたらすことにはなりませんが、既存の婚姻システムの外で暮らしている人々は、この保障の欠如が抱えるリスクを取り除くために、継続的に様々な対処法を個人で模索し続ける必要があります。例えば、同性間のカップルの一人がパートナーを保険書類の受取人に指定したい場合、彼もしくは彼女は個人で理解のある保険代理人を探す必要があり、そうしなければ、保険会社から指定を拒否される可能性がかなり高いのです。こういった事態を打開するために、2008年の終わり頃にAwakening Foundation(女性の地位向上を目的とした台湾の団体)は他のLGBTやジェンダーに関する団体を招待し、「シビル・パートナーシップ」の権利の推進をするための方策を議論するための会議を開きました。

 

半年以上に渡る月々の議論の末に、Awakening Foundation、Taiwan Tongzhi Hotline Association(台湾最大規模のLGBT団体)、Tong-Kwang Light House Presbyterian Church(台湾にある長老派系のキリスト教協会)そして他の多くのジェンダーに関する団体と熱心な市民達の手によって、2009年の終わり頃に当団体、TAPCPRが設立されました。また、2011年にはTaiwan Adolescent Association on Sexualitiesが私たちの団体に加わりました。私たちは皆、以下の共通の理念を持っています。

 

“現在法の下で保護されていなく、しかし我々が保護されるべきであると信じている社会的な人間関係は、二人で構成されている「親愛関係」なのか、それともそれが三人以上によるものなのか、もしくは友人間での閉じた深い関わりあいなのか、と言った如何に関わらず、全て我々の議論と先導の対象となる。”

 

2010年に、TAPCPRはこれに加えて以下のような理念も付け足しました。

 

“「シビル・パートナーシップ」と「同性婚」に関する法律の生成は互いに同等に促進される必要がある。つまり、それぞれに優先順位を付けたり、中期的、もしくは長期的な目標として分けて考えてはならない。我々は、セクシャリティの如何に関わらず、全ての人々は二つ、もしくはそれ以上の社会的なシステムによる保護を受ける必要があると信じている。異なる言い方をすれば、「婚姻」と「シビル・パートナーシップ」は異なるシステムにあるが、両者ともセクシャリティの違いに関わらず、広く人々の間で受け入れられるべきであると言うことである。”

 

これに加えて、TAPCPRには個人の基本的人権の諸問題(医療、保険など)一つ一つに対処していく事を選択しないシンプルな理由があります。これらの問題について調査をしてみたところ、私たちはこれらの医療や保険に関する問題は、「事実婚(内縁、同棲中)」のカップル達の法律や条例による個人への統治の下での権利の獲得が、既存の法制度によって拒まれていると言う事実に根ざす事に気付いたのです。私たちはそのため、このような法律や条例による個人への統治の下での権利の獲得において生じる根本的な問題を解決し、医療や保険を含む制度の保障を改善していくために、私たちは「シビル・パートナーシップ」のシステムに関する議論を進め、促進していく必要があるのだと言うことを確認し、決意したのです。

 

私たちTAPCPRは、新たな法律の制定の促進運動を通じて、国家が人々の親密な関係性や個々の家族の形態などに対して果たすべき役割を、これからも見直し続けていきます。およそ約二年以上の活動において、2011年9月に私たちは、「シビル・パートナーシップ」、「複数家族」、そして「養子縁組」などのシステムに関連した民法の新たな改正案の初稿を公開しました。また、私たちは2012年7月31日に、「同性婚」に関する民法の改正案の初稿もまた公開する予定です。最後にまとめると、私たちは「同性婚」やパートナーのジェンダーやセクシャリティ(性的指向)による規制の無い「シビル・パートナーシップ」、そして「複数家族」といった様々な「家族」形態を支えるシステムの形成を促進していくのと同時に、民主的な「親愛関係」の促進と、異なる形態の「家族」は皆法の下における平等と適切な保護の受託を保証するために、実際の法律案を通じてより社会を巻き込んだ議論を活発にしてきたいのです。